映画『ゴーストバスターズ』シリーズを改めて考察 アメリカの揺るがぬ姿勢を示すかのようなテーマとポリシー

映画・アニメ

『ゴーストバスターズ』公開当初、私は広島市内の映画館で作品を鑑賞しました。当時はたしか、まだ入場料が1,200円(当時まだ私は中学校だったため、もっと安かったはず)加えて2本立てという、映画ファンには夢のような時代。

あの大ヒット映画『トップガン』が、当時同時期に公開されていた『プリティ・イン・ピンク』と同時上映という格好で公開されていたことを考えると、1本で公開された『ゴーストバスターズ』は、それなりに配給会社も勝負に出ていたのだなぁ、などと当時の記憶がよみがえってきます。

反面、この作品は大人気に反して、当時は批判的な意見も多く聞かれたと記憶しているのですが、その作品がいまなお続編を発表され、そして今年新作『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』(原題:Ghostbusters: Frozen Empire)で再び反響を得ており、さらなる続編の発表の話も方々でささやかれているところを見ると、歴史に埋もれたジャンル作品の一つではない、重要なポイントを持った作品群であるとも考えられることでしょう。

今なお世界的にも大反響を呼ぶこのシリーズにはどのような意味があるのか、そしてこの作品に込められている『ゴースト』『バスターズ』とは何を指しているのか。今回はこのシリーズについて、さまざまなポイントを考察してみたいと思います。

『強いアメリカ』を叫んだ第一作

(C)1984 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

シリーズの第一作の公開は1984年。日本では「お正月映画」の商戦に乗った公開で、当時同時期に公開された『グレムリン』『ゴジラ』と合わせて「3G対決」などという触れ込みでその公開は宣伝されていました。

この時、『グレムリン』は評論家筋などから、ある意味「核の象徴のように感じられる」などという評論が流れました。人間の扱い方次第では、可愛らしいペットが恐ろしいモンスターになる。その意味ではジャンル映画的に見られた作品ではありながら、まだ東西に分かれ「核の恐怖」が叫ばれていた当時の社会において、非常に意味深い作品であるという見方を示した人がいたというわけです。

これに対し、多少ふざけたようにも見える科学者がオバケ退治をするコメディー、という『ゴーストバスターズ』は、まさにジャンル映画の最たる作品という印象であまり高い評価を得られなかったとも考えられます。

一方、2015年には米国議会図書館が本作を全米映画登録簿に保存する作品として選出しました。

この登録簿に選出される映像作品は「公開より最低10年以上経っており、かつ文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」とみなされる作品であり、さらに「われわれがどのような人々か、どのような国民かをよく示す作品」という基準が重視されるといわれています。

映画が公開された1980年代は東西冷戦時代という、世界が緊張に包まれた時代でありました。そんな中でアメリカは、ロナルド・レーガン大統領が掲げた「強いアメリカ」というスローガンを基に、世界における自国の優位性を唱えていた時期でもありました。

本作のテーマであるゴーストは、本作のメインキャストの一人であり同時に脚本を担当したダン・エイクロイドがもともと超常現象などのマニアであったことが発端であるといわれています。

一方で極貧ながら信念を持った科学者たちが最後に強大な敵を倒すという流れは、なんとなくこの「強いアメリカ」というイメージを示しているようでもあります。ゴーストを一掃した主人公たちをニューヨークの市民たちが歓声で称えるラストシーンは、この流れをさらに強調しているようにも見え、シリーズで挙げられる「ゴースト」というものが何なのだろうか、またその「ゴースト」を退治するということ自体の意味とは何なのか、とさまざまなイメージを想起させられます。

(C)1984 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

続編『ゴーストバスターズ2』が公開されたのは、ちょうどレーガン政権が終焉に向かった1989年。物語の冒頭は、いわゆる「オバケ騒動」が一件落着しゴーストバスターズの支持が寂れてしまったところから始まり、紆余曲折の中で新たな強敵を倒すという結末に向かいます。

その意味で初作、第二作と時代の変化を経て「世界での優位性を主張するアメリカの姿勢」を表した作品であるようにも見えてくるでしょう。

広告

フェミニズムの流れを踏襲したリブート作

一方で2016年には、メインキャスト4人を女性に置き換えたリブート版『ゴーストバスターズ』が公開されました。

本作の前に、実は『ゴーストバスターズ』シリーズ続編の製作という話がありましたが、オリジナルメンバーの一人を務めるとともに脚本を担当したハロルド・ライミスの急逝により頓挫、二作の監督を務めたアイヴァン・ライトマンが降板したことで新たな企画としてリブートの方向に進んだといわれています。

(C)TWENTIETH CENTURY FOX ALL RIGHTS RESERVED.

女性版のリブート作品といえば、2004年の『TAXI NY』、2018年の『オーシャンズ8』など、ヒットシリーズ作の女性リブート作も当時、若干目立つところでありました。

女性という存在のアピールという意味では、例えばシガニー・ウィーバーが演じた『エイリアン』シリーズの航海士リプリー、リンダ・ハミルトンが演じた『ターミネーター』シリーズのサラ・コナーなどのように、「強い女性」のアイコンともいえそうなキャラクターが2000年以前に登場しました。女性をフィーチャーした作品といえば、その金字塔ともいえる『テルマ&ルィーズ』が1991年に登場。やはりこの時期に登場したものであります。

(C)by Gaomont- Gaomont Production-Cecchi Gori Tiger Cinematografica 1990.

そしてリュック・ベッソンが手掛けた1990年の『ニキータ』、1994年の『レオン』などがきっかけとでもなるように2003年の『キル・ビル』、2011年の『コロンビアーナ』『ハンナ』などといった、いわゆる「女殺し屋」をフィーチャーした作品が多く作られており、いわゆる「男の世界に進出する女たち」という印象を感じられる作品も多く登場したようでもあります。

こうした流れから考えると、その公開の一年前に全米映画登録簿に第一作が選出されたというきっかけを考えても、なるほど女性版によるリブートというアイデアもうなずけるものだと考えることもできるでしょう。

但しこの作品は、評論家筋からはわりに高い評価を得ながらも興行的に振るわず、シリーズ作品としての印象は最も薄い作品であることは否めません。

個人的な印象としては、フェミニズムの流れに乗った企画でありながら、作品自体の印象はそのフェミニズム感をイマイチうまく出せていない気がします。映像技術的には目を見張るような進歩も感じられ、豪華なカメオ出演ゲストや高い完成度ながら、残念な見え方があるともいえるかもしれません。

若者、少女…新たな時代を託しながらも揺るがぬ姿勢

2021年に発表されたシリーズの正当続編作『ゴーストバスターズ/アフターライフ』では、故ハロルド・ライミスが演じたバスターズの一人、イゴン・スペンクラーの孫・フィービーが家族とともに越してきた家で、ゴーストバスターズの真実やゴーストたちの新たな悪だくみに気づき、立ち上がっていくという物語が描かれました。

物語の主となるポイントを、四人の男性から少女を中心とした若きメンバーたちに託したことは、この国の時代変化にも重なるところがあるといえるでしょう。

オリジナルのバスターズが活躍したリーマンショック以前の時代は、現代から見るとイケイケドンドン、現在と比較するとどこか現実離れした空気感すらあったような時代。物語ではそのことを示すように、過去を「つわものどもが夢の跡」的な背景でノスタルジーを描きつつ、新たなゴーストとの対決によって新たな世代への継承を示しています

反面『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』によって、舞台は再びニューヨークへ。このような遍歴を通して見ると、時代により様々なキャラクターが現れ支持されるも、国としての姿勢はあくまで「自国の強さ」を主張する、変わらず一貫したものすら見えてくるようでもあります。

(C)2011 WARNER BROS. ENTERTAINENT INC. AND LEGENDARY PICTURES

一方、この作品に見られる「ガールズ・パワー」的なポイントもぜひ注目しておきたいところであります。

日本より2005年に登場したAKB48のブームは、日本発の「KAWAII」文化に乗って世界に広がったわけですが、2011年の『エンジェル・ウォーズ』、2016年の『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』などといった、いわゆる「ガールズ・パワー」をアピールする作品が登場、『ゴーストバスターズ』シリーズもこうした時代的流れを受けた影響を少なからず反映していることが考えられるでしょう。

広告

おまけ~「逆輸入」的な影響力を持つ日本語版主題歌

『ゴーストバスターズ』の主題歌といえば、やはりあのレイ・パーカーJrによるテーマソングが真っ先に頭に思い浮かぶことでしょう。しかし当時ヒットチャートのナンバーワンにもなったこともあるこの曲ですが、実際の評価としてはどうだったのかは正直疑問も残るところであります。

この曲は、実は明確なメロディーがありません。全体的にはメインのトーナリティー部分と、その主旋律を繰り返すためのサビ部分がほぼ繰り返されるだけの曲であり、よく聴くとボーカリストであるレイ・パーカーJrの歌は「歌?」と首をかしげたくなるようなもの。メロディーらしい旋律も出てはくるものの、それもアドリブらしさばかりが強調されるだけで、ラップほど韻やリズムを踏襲していない語りのような部分も多く「曲であるのか」という疑問すら沸いてきます。

そしてこの曲で最も強い印象を持つ箇所は、シンセサイザーで奏でられるセカンドリフと、要所に入る「Ghostbusters!」と叫ばれる合唱部分にほぼ限られます。

こうした考えは日本的な見方であるかもしれませんが、それにしてもテーマソングと呼ばれるには、ちょっと混乱もあります。

しかし一方でこの「混乱」がある意味この曲の魅力でもあります。そもそも奇抜性、突拍子のなさをこそが特徴ともいえたこの時代の音楽の中で「なんだこれは!?」というインパクトと、部分的な印象だけで今なお語り継がれるという点においては、評価できるものであるといえるでしょう。

一方、『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』では日本語吹き替え発表に伴い、日本版主題歌がアイドルグループ『新しい学校のリーダーズ』によって発表されました。

メインテーマはそのままに、パートごとにメインボーカリスト三人が歌い曲を構成。MVではオリジナルの『ゴーストバスターズ』のテーマに匹敵するほどの「なんだこれは!?」感が満載した、まるで日本の漫画文化をそのまま映像にしたようなワクワクする空気感に包まれています。

歌詞にある「コワイなぁ~帰り道」「誰もいないの教室」「布団に隠れていたって…」などというキーワードはどちらかというとアジア寄りな印象ではあるものの、敢えて「日本的」を前面に出しレイ・パーカーJr版に挑戦状をたたきつけるほどのインパクトを感じさせます。

そもそもセーラー服を着た日本のガールズたちによるアクティブなパフォーマンスは、ある意味『ゴーストバスターズ/アフターライフ』以降の、少女、新世代というワードを彷彿するものと感じられます。

その意味では、日本初のガールズ文化を『ゴーストバスターズ』という文化の一端でアレンジし逆輸入した印象でもあり、インパクトは絶大。単に日本語吹き替え版に伴ったプロモーションという枠に留めておくには、もったいない仕上がりであるといえるでしょう。

映画・アニメレビュー
広告
こねこ惑星 クリエイターズブログ