映画『アイム・スティル・ヒア』 軍事政権の不条理さと戦う一市民の姿を描いた名匠ウォルター・サレスの新作

レビュー
(C)2024 VideoFilmes/RT Features/Globoplay/Conspiracao/MACT Productions/ARTE France Cinema

軍事政権が国を支配していたブラジルにおいて発生した一つの事件をめぐり戦う一家族の妻の姿を追った映画『アイム・スティル・ヒア』が全国公開されます。

何の正論もなく力のみで国民を押さえつけようとする軍部。その勢力にただ沈黙するほかないとあきらめる人々の中で自身の思いを貫き、真実を知ろうと戦った一人の女性の姿を追う物語。

戦争が軍部によって行われていることを考えれば、戦争自体がいかに不条理で論拠などなく行われている行為であると感じられるでしょう。物語はその納得しかねる状況に対し、人々がどのような意思を持って向き合っていくべきかと、さまざまな思いを想起させられるものとなっています。

なお作品は2024年・第81回ベネチア国際映画祭で脚本賞、第97回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞と、世界的にも高く評価されました。

映画『アイム・スティル・ヒア』概要

作品情報

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1970年代の軍事政権下のブラジルで実際に起きた事件をもとに、軍という組織の理不尽さと、それに抗う一人の女性の姿を描いたドラマ。事件の中で死亡した元議員の男性ルーベンスの息子であるマルセロ・ルーベンス・パイバによる回想録を原作としています。

『セントラル・ステーション』『モーターサイクル・ダイアリーズ』『オン・ザ・ロード』などのウォルター・サレス監督が作品を手がけました。

主演を務めたのは、サレス監督の「セントラル・ステーション」で、ブラジル人俳優として初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされたフェルナンダ・モンテネグロの娘であるフェルナンダ・トーレス。彼女は親子2代で同じウォルター・サレス監督作にてアカデミー主演女優賞ノミネートを果たし、第97回アカデミー賞では作品賞、主演女優賞、国際長編映画賞の3部門にノミネートされ、国際長編映画賞を受賞しました。

なお、本作にはトーレスの母モンテネグロも出演、トーレスが演じた主人公の老後を演じています。

あらすじ

1971年、ブラジルのリオデジャネイロで、軍事独裁政権に批判的だった元下院議員ルーベンス・パイバの家族は慎ましやかな生活を送っていました。

ところがある日彼は、突然やってきた政府の人間に供述を求められて連行され、そのまま行方不明となってしまいます。

自身も拘束され、政権を批判する人物の告発を強要された妻のエウニセでしたが、なんとか無事に釈放され、5人の子どもを抱えながら夫が戻ってくることを信じて待ち、やがて軍事政権による横暴を暴き、夫の行方を追うべく、執念の行動に出るのでした。

作品詳細

製作:2024年製作(ブラジル・フランス合作映画)

原題:Ainda estou aqui(英題:I’m Still Here)

監督:ウォルター・サレス

出演:フェルナンダ・トーレス、セルトン・メロ、フェルナンダ・モンテネグロ、バレンチナ・ヘルツァジ、マリア・マノエラ、ルイザ・コソフスキ、マルジョリエ・エスチアーノほか

配給:クロックワークス

劇場公開日:2025年8月8日(金)より全国順次ロードショー

公式サイト:https://klockworx.com/movies/imstillhere/

不条理な存在と戦う姿から描いた「平和に向かうことの意味」

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軍事政権下における理不尽さ。そのイメージを物語は冒頭で、本編の物語とはあまり関係のない道端の検問における取り調べの乱暴な光景でショッキングに描きます。

暴力的なシーンとしては、全編を通して見ると冒頭の箇所のみで、本編では「何か理不尽な状況を描いている」という不快な印象を見せながらも、淡々と物語が展開していく流れとなっています。エンタメ的な要素がほぼ廃された印象の作品であり、それだけに、非常に社会的なメッセージ色の強い作品であるといえるでしょう。

物語では事実として「問題の発端となった元軍部の関係者が、結果的にその後罰せられることはなかった」ことを強調しており、理にかなった筋を示さなくても「軍部である」というだけで多くのことがまかり通る「軍事政権」の矛盾、不条理さを強調しています。

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この事実に対して、作品は人々が問題と向き合い、闘い続けなければならないという痛烈なメッセージを描いているわけですが、この「戦い」に対して人々は何をもって、どんな思いで戦っていくのか、その一つのヒントをポジティブな方向に向けて発信しようとする製作側の意向が感じられます。

勝算もなく厳しい状況ながら、主人公エウニセは家族、友人たちという存在のおかげで戦いの意味を忘れずに執念を燃やし続けたわけです。そのさまは、やがて軍事政権が崩壊し近代となっても、彼女の胸の内に強い信念が残っていたことが、フェルナンダ・トーレス演じるエウニセの表情に読み取ることができます。

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ウォルター・サレス監督は、チェ・ゲバラの回顧録をもとに作られた『モーターサイクル・ダイアリーズ』を手がけていますが、全く異なる話ながら主人公が今自分たちに起きている問題への認識を深め、向き合っていくという方向性は共通しているところもあります。その意味では「いかに問題に立ち向かっていくか」という論点への、一つのヒントを示すというテーマは、サレス監督にとって映画で表現したいと思えるポイントの一つと考えているとも推測できるところ。

世界では多くが世代交代を遂げ「歴史の生き証人」の存在は消えゆく状況にあります。そんな中で「歴史的な過ちを、その時代を知らない人たちはどう回避していくか?」という課題は、平和を考える上での最重要ポイントであるといえます。

映画というカテゴリでも「どのような物語を描くことが、この問題に対する力を生み出すことになるか」、さまざまな場所でその議論がなされています。本作の物語はその意味における一つの例、指針を示した物語であるともいえるでしょう。

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