シンガポールと台湾を舞台に、複雑な家族の愛憎と、ある事件の影に囚われた兄弟の心理を鋭く描いた映画『ピアス 刺心』が全国公開されます。
シンガポールの俊英ネリシア・ロウ監督が手掛けた本作。シンガポールのフェンシング代表として活躍した経験を持つロウ監督が、台湾で実際にあった事件と、自身の家族関係に着想を得て作り上げました。
監督の個人的な経験と俳優陣の印象的な存在感の組み合わせにより、観客の魂を深く突き刺すような、緊張感に満ちた映像となっています。
映画『シークレット・メロディ』概要
作品情報

フェンシングに勤しむ若者たちの姿を背景に、ある兄弟の愛と疑念が対立するさまを描いた心理スリラー。
監督・脚本を担当したのは、シンガポールのネリシア・ロウ監督。本作が長編デビュー作となります。
『Plurality』(2021年、日本未公開)などに出演した台湾の新星リウ・シウフーと『KANO 1931海の向こうの甲子園』のツァオ・ヨウニンが主演を務めます。
なお本作でリウはローマ・アジア映画祭最優秀男優賞を受賞、台北映画賞で最優秀新人男優賞にノミネートされるなど、高い評価を得ています。
あらすじ
フェンシングの試合中に相手を刺殺した過去を持つ兄ジーハン。彼は刑期を終え少年刑務所から7年ぶりに弟ジージエと再会します。
刺殺は「事故だった」という兄の言葉を信じたジージエは、彼からフェンシングを教わり、疎遠だった時間を埋めようとします。
しかし一方で、ジージエは幼少期に溺れた際、兄が助けをためらった記憶を思い出し、その不信感が再燃し気持ちに揺れを生じていきます。
兄の真意を測りかねる中で一つの悪夢のような事件が発生、二人の関係は決定的な崩壊へと向かっていくのですが……。
作品詳細
製作:2024年製作(シンガポール・台湾・ポーランド合作映画)
劇場公開日:2025年12月5日
原題:刺心切骨 Pierce
監督・脚本:ネリシア・ロウ
出演:リウ・シウフー、ツァオ・ヨウニン、ディン・ニンほか
配給:インターフィルム
劇場公開日:2025年12月5日(金)より全国順次ロードショー
公式サイト:https://pierce-movie.jp/
感情の交錯—兄弟の絆と心理の真実

物語の中心にあるのは、複雑な家庭環境に生きる兄と弟、そしてクラブ歌手として働く母の三人です。
父が不在の中、兄弟は共に学校のフェンシング選手として成長しますが、その関係性は常に張り詰めた緊張感を孕んでいます。
物語は、多くを語らない弟の目線で進行します。弟は、幼い頃に起きたある事件の記憶を抱え、兄に対して心から信用できない感情を抱いています。
兄は時に優しく、しかし別の時には弟を試すような行動を取り、弟にとって兄は「いつか自分を傷つけようとしている人物ではないか」という疑念の対象となります。
しかし、不思議なことに、フェンシングの試合中というフィルタを通して見た時だけは、その疑念が消え、兄を心から信用できるという矛盾した感情が描かれます。
これは、規律と明確なルールに則ったスポーツの世界だけが、彼らにとって唯一の「真実の場」であることを示唆しているかのようです。

弟ジージエを演じるリウ・シウフーは、この不安定な心理状態を見事に体現しています。
彼の内面の揺れ、兄への愛と恐怖、そして葛藤から生まれる心理的な変化が、物語のすべてを駆動させます。
一方、兄ジーハン役を担うツァオ・ヨウニンの存在感も圧倒的です。
彼の行動はどこまでが真実で、どこからが策略なのか判然とせず、決定的な問題を抱えているにも関わらず正直にも見える、その複雑なキャラクター造形が観る者を惹きつけます。
このギリギリの均衡は、人との新たなつながりやある事件をきっかけに崩壊し、兄弟の関係は再び「信用できない」地点へと戻ります。
そして物語のラストで待ち受ける驚愕の展開はまさに圧巻。兄の真の姿が暴かれた時、その真相を理解した弟が取る「驚くべき攻撃」は激しい起伏を持つこの物語のクライマックスとして、非常に見ごたえのある映像体験を提供しています。
監督の視点—フェンシングが描く生と死、そして創作の動機

本作の鋭い緊張感は、監督であるNelicia Low氏自身の経験に深く根差しています。彼女はかつてシンガポール代表として活躍した元フェンシング選手であり、2007年の東南アジア競技大会で金メダルを獲得した経歴を持っています。
「フェンシングは、単なるスポーツ以上の意味を持つ」ロウ監督は語ります。
本作におけるフェンシングは、相手を「傷つける」剣と、自分を「守る」剣の二面性を持ち、それはまさに、愛する兄弟の間で交錯する複雑な愛と憎しみ、そして裏切りを象徴しています。
監督は、この映画を通して「我々がどれだけ愛する人を傷つけたり、また傷つけられたりするか」という、人間の複雑な感情の機微と、最も近しい関係性の中にある矛盾した真実を探求したかったと語っています。

フェンシングの統制された緊張感は、兄弟の心理的なせめぎ合いと完全にシンクロし、映画全体に独自の緊迫感を与えています。
また、ロウ監督が自身の監督業を続けるモチベーションについても示唆に富んでいます。
彼女にとって映画製作とは、人間関係の複雑さを掘り下げ、自身の魂の奥深くに響く真実、そして「人間としてのつながり」を見つける手段であると語っています。
自身や他人の未解決な感情や問題に映画を通して向き合い、それを観客と共有し昇華させるという強い思いが、この『ピアス 刺心』という、痛烈でありながらも美しい作品を生み出す原動力となっています。
主演俳優陣の熱演、そして元アスリートである監督の視点が融合した本作は、単なる家族ドラマではなく、人間の根源的な愛と対立、そして自己の探求を描いた、非常に深く重層的な作品であるといえるでしょう。

